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jumee☆snowman2Rが降りました。寒かったですね絵文字名を入力してください
大阪では珍しい事です。寒いのを通り越して凍りますぉぃっ寒
本来『ラグビーブログ』として始めたのですが、段々、違う方向に行っていたので、軌道修正します。
まずは、珍しい大阪の雪雪だるま
20080209115734.jpg

我が家の前の道です。
20080209120126.jpg

我が家の、小さな庭に積もった雪
20080209140322.jpg

ベランダに積もった雪。

これで、かなり珍しい事です。(東北・北海道の方には笑われるかも知れませんが汗;


秩父宮ラグビー場の雪(雪で試合が順延になったのは10年振りらしいです。)
snow.jpg

これでは無理ですねえぇ

面白い記事(昔の)を見つけました。
1971年当時の『ラグビー日本代表』の大西鉄之助監督(早稲田出身)時代の話です。
(私は当時高校1年生、ラグビーを始めて一番興味のあった頃です)

【印象に残った日本代表チーム ー大西ジャパン-】  
 
 3年後、1971年、再び結集された日本代表チームは、大西の
考案した「接近・展開・連続」がチーム内に十分浸透していた。
オールブラックスジュニア戦に出場し、自信にあふれた若手も円熟
期に入り、各ポジションに一癖も二癖もある侍がそろっていた。
FW第1列は原(近鉄)―後川(リコー)―下園(新日鉄八幡)。
原はFWとしては初めて世界選抜に選ばれ、引退後、闘魂派プロレ
スラー“阿修羅原”となった怪物である。
下園は押しの下園と言われ、相手が外人だろうが誰だろうが押され
たことがなかったほどの押しのスペシャリストである。
この3人が組めば強豪イングランドでもそう簡単には押せはしない
のである。
第2列は小笠原(近鉄)―寺井(新日鉄八幡)のコンビ。
小笠原は初代こわし屋で、神戸製鋼の林は2代目なのである。
とにかく外人に強かった。パワーでも引けを取らなかったが、何よ
りも外人相手だと気迫がすごいのである。
当時の代表の中でも原、小笠原は腕力でも外人に引けを取らないく
らいの怪力だった。
小笠原がボールを持って突進すると場内が大歓声が上がったもので
あった。
寺井は192cmの長身でラインアウトではイングランドと互角に
わたりあった。
当時の日本ラグビー界では190cm以上の選手はほとんどおらず、
国内のトップクラスのチームでもロックは185cm止まりであっ
た。バレーボール界では190cm後半の選手がゴロゴロいたのだ
が・・・。1人や2人、回してくれてもよさそうなものではと思って
しまう。
第3列は井沢(リコー)―山口(京都市役所)―村田(リコー)の
俊足トリオであった。
ウイング並みのスピードを持つ井沢、日本代表のプレースキッカー
である山口、185cmと代表としては初の大型NO―8、村田。
山口は後年、平尾、大八木を育て、テレビ番組スクールウオーズの
モデルになった熱血漢である。
しめて、FWの平均はは181cm、84kg、今でこそこの程度
のチームはいくらでもあるが当時としては日本を代表する重量FW
であった。
しかし、対するイングランドは身長で5cm、体重で10kg上回
っていた。
ハーフ団は今里(近鉄)―藤本(天理教本部)。
今里は走力、パスワークは当然として、小柄な体格にもかかわらず
大きな外人をなぎ倒すような果敢な猛烈タックルを浴びせるSHで、
カン高く勇ましい声は聞いた外人はどう思っただろう。
SO藤本は火の玉タックラーでトイメンに抜かれないことを身上と
しており、タックルのすごさにトイメンのイングランドのSOが震
え上がっていたほどであった。
ウイングにはNZに留学しNZ大学選抜にも選ばれた世界の坂田
(近鉄)、センターには激しいタックルとすばやいパクワークのキ
ャプテンでもある横井(三菱自工京都)がいた。
FBにはNZ遠征で“カンペイ”を世界に披露した万谷(トヨタ)がいた。
万谷はもともとウイングの選手でスピードには定評はあったがキックは苦手で従来のFBには不向きなタイプであったが“カンペイ”を実践するため大西が無理やりコンバートしたのであった。
タレントぞろいの代表チームなのであった。
今、彼らのことを書いていても胸が踊ってきてしまうのである。

izawa_01.jpg

の文中にも登場する『井沢さん』(確か早稲田出身だったと思う)俊足でディフェンス力抜群のフランカーでした。
yamaguchi_2.jpg

反対側フランカー、誰でも知ってる『泣き虫先生』コト『山口良冶』さんです。当時プレースキッカーも務められていて、当時の皮のボールでハーフウェーラインからの50mPGは今でも忘れられません。
この他にも、画像を探したのですが、如何せん、40年程前で、増してや不人気のラグビー写真は、なかなか探せません。
文中にもあるように『怪物』揃いのJAPANでした。
      ①下園(新日鉄八幡)ミスタープロップ!プロップをする為に生まれて来たような人。
      ②後川(リコー)元祖「餃子耳(欧州では「カリフラワー・イヤー」と言うらしい)」
      ③ 原 (近鉄)世界選抜のプロップに選ばれ、後に国際プロレスで『阿修羅原』でデビュー)
      ④小笠原(近鉄)ラグビーは近鉄入社後から始めた、元祖怪物(この人は、ワールドの初代         監督で、我が千里馬クラブとも少なからず縁がある)
      ⑤寺井(新日鉄八幡)前歯が4本無かった。(当時はマウスガードのような物も無く、可哀想でした)
      ⑥山口(京都市役所)の画像にある『泣き虫先生』です。
      ⑦井沢(リコー)早稲田大出身だったと思うあせ
      ⑧村田(リコー)この人は自信あります。憧れでしたからにっこり
      ⑨今里(近鉄)今は近鉄の「役員」さんでしょう?
      ⑩藤本(天理教本部)後に『蒲原』に改名天才SO。
      ⑪坂田(近鉄)御存知『現大阪体育大学』監督の「世界のサカタ」です。
      ⑫横井(三菱自工京都)この方がキャプテンでした。
      ⑬忘れました。
      ⑭忘れました。
      ⑮万谷(トヨタ)変幻自在なステップで、日本のお家芸『カンペイ』を世界に披露した、天才フルバック。
(注:敬称略しました。すみません。)

ご覧の様に、当時は「近鉄」「リコー」が強豪チームでした。「近鉄」はトップリーグに返り咲きましたが、「リコー」は降格してしまいましたね?
頑張れ!リコー(和製オールブラックスが泣くよ)

偉そうに言って⑬⑭番を失念しました。(昔は『ラグビーマガジン』を貪る様に読んだのですが)

オマケに、当時(少し後かな?1974年位?)我々の『大阪朝高ラグビー部』の写真を・・・
数少ない、貴重な写真です。(過去にアップ記録あり)
ラグビー写真

さながら『スクールウォーズ』のようでしょう?汗;

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